相続の手続きは、進めようと思えば進みます。相続人がおひとりなら、話し合う相手もいません。書類を集めて、名義を変えて、税金を納めれば、それで完了です。
けれど、「手続きを進めること」と「どう進めるかを決めること」は、別のことです。
今回ご紹介するのは、普通に手続きだけを進めていたら、ごく普通の相続で終わっていたご家庭の事例です。手続きの前に一度立ち止まって整理したことで、相続税だけでなく、将来かかるはずだった相続税申告の費用(目安60万円前後)まで減らすことができました。
やったこと自体は、決して複雑なことではありません。
1.ご相談の背景 ― 相続人は、80代のお母さまおひとり

亡くなったのは、50代半ばのご本人でした。
ご家族の関係は、次のとおりです。
- お父さまは、すでに他界されていました
- お母さまは80代後半で、ご存命でした
- ご本人には、弟さんがいらっしゃいました
日本の法律(民法)では、相続人になる方の順番が決まっています。
- 配偶者は、いる場合は常に相続人になります
- 第1順位:お子さん
- 第2順位:直系尊属(父母・祖父母) ― お子さんがいない場合
- 第3順位:兄弟姉妹 ― お子さんも直系尊属もいない場合
今回は、お子さんがいらっしゃらず、お父さまもすでに他界されていました。そのため、お母さまがただおひとりの相続人という状態でした。
主な財産は、次のとおりです。
| 種類 | 金額(概算) |
|---|---|
| 現金 | 約1,100万円 |
| 不動産(相続税評価) | 約1,900万円 |
| 保険金(受取人:お母さま) | 約2,000万円 |
| 有価証券 | 約100万円 |
| 退職金 | 約1,400万円 |
| 合計 | 約6,500万円 |
この前提での相続税の試算は、約310万円でした。
2.一見すると、何も問題はありませんでした
ここまでを読んで、「どこに問題があるの?」と思われた方も多いかもしれません。
実際、この時点では次のような状態です。
- 相続人がおひとりなので、遺産分割でもめる相手がいない
- 話し合いが不要なので、手続きが早く終わる
- 相続税も約310万円で、払えない金額ではない
- 生命保険の受取人もお母さまになっていて、そのまま受け取れる
争いもなく、手続きも単純で、税金も払える。このまま進めれば、何の問題もなく完了する相続でした。
そして実際、多くの場合はここで手続きが始まります。
3.実際に隠れていた問題 ― 同じ財産に、相続税が二度かかる

問題は「今回の相続」ではなく、その次にありました。
お母さまは80代後半です。今回お母さまがすべてを相続すると、その財産はいずれ、お母さまご自身の相続財産になります。そのときに相続するのは、弟さんです。
つまり、同じ財産に対して、相続税を計算する場面が二度訪れる構造になっていたのです。
最初の相続を「一次相続」、その相続人が亡くなって次に起こる相続を「二次相続」と呼びます。
そして、二次相続は一次相続より不利になりやすい傾向があります。
理由① 基礎控除が小さくなる
相続税の基礎控除は「3,000万円+600万円×法定相続人の数」で計算します。相続人の人数が減れば、その分だけ非課税で受け取れる枠も小さくなります。
理由② 大きな特例が使えない場面が出てくる
配偶者の税額軽減のように、一次相続では使えた特例が、二次相続では使えないことがあります。
理由③ 申告そのものが、もう一度必要になる
これは意外と見落とされがちな点です。相続税の申告は、多くの場合、税理士へ依頼して行います。二次相続が発生すれば、申告作業も、その費用も、もう一度かかります。
「今回の約310万円」だけを見ていると、この二度目の負担は見えません。
そして今回の事例では理由③が大きなネックとなっていることが見えてきました。
4.今回の中心になった制度 ―「相続放棄」で相続人を移す
そこでご提案したのが、お母さまが相続放棄をするという方法でした。
相続放棄とは
相続放棄とは、家庭裁判所に申し立てて、はじめから相続人でなかったことにする手続きです。プラスの財産も、借金などのマイナスの財産も、いっさい引き継がなくなります。
「借金があるときに使う手続き」という印象をお持ちの方が多いと思います。実際その使い方が一般的です。
ただ、相続放棄にはもうひとつの効果があります。
放棄をした方は最初から相続人でなかった扱いになるため、相続権が次の順位の方へ移る、という点です。
今回は、第2順位のお母さまが相続放棄をしたことで、第3順位の弟さんが相続人になりました。
この事例での意味
お母さまを経由せずに、財産が弟さんへ渡ります。
その結果、将来の二次相続が一回分なくなることになりました。
5.相続放棄の条件・費用・そして注意点
ここが最も大切な部分です。相続放棄は「使えばお得になる裏技」ではありません。
有利になる面と、不利になる面の両方があります。
手続きの条件と費用
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 申し立て先 | 被相続人の最後の住所地の家庭裁判所 |
| 期限 | 自己のために相続の開始があったことを知ったときから3か月以内 |
| 費用 | 手続きの実費+司法書士等の専門家に依頼する場合は数万円の報酬 |
期限が3か月しかないことが、最大の注意点です。「次の相続まで考えて放棄する」という判断は、この3か月の間に済ませなければなりません。ご葬儀や各種手続きに追われている時期と、そのまま重なります。
税金面の注意点(出典:国税庁)
① 基礎控除の人数は減りません
基礎控除の計算に使う「法定相続人の数」は、相続放棄があっても、放棄がなかったものとした場合の人数で数えます。放棄をしても、基礎控除の枠自体は変わりません。
② 生命保険金の非課税枠が使えなくなります
死亡保険金には「500万円×法定相続人の数」の非課税枠があります。ただし、この非課税の適用を受けられる人に、相続を放棄した人は含まれません。
今回、お母さまは相続放棄をしても、保険金の受取人としてのお立場は変わらないため、保険金そのものは受け取れます。しかし、その保険金に非課税枠は使えず、相続税の課税対象になります。
③ 兄弟姉妹は、相続税が2割加算されます
配偶者・父母・子以外の方が相続などで財産を取得した場合、その方の相続税額に2割が加算されます。兄弟姉妹は、これに該当します。
つまり、今回は「今回の税金は増える」判断でした
上の②③により、一次相続、つまり今回の税負担はむしろ増えます。
それでも、二次相続の分がなくなることを合わせて考えると、合計では負担が小さくなる。そう判断したうえでの選択でした。
そして繰り返しになりますが、これはすべてのご家庭に当てはまる方法ではありません。 財産の内容、保険金の額、相続人の人数、お母さまご自身がお持ちの財産の状況によって、結論が逆になることもあります。
6.当社が実際に行ったこと

相続セレクションで提案したのは、次のことです。
- ご家族から状況を伺い、財産の洗い出しと一覧化を行い、全体像を見える化しました
- 二次相続まで見据えた選択肢として、相続放棄による相続人の繰り上げをご提案しました
- 税理士・司法書士などの専門家との連携を手配し、役割分担を整理しました
- 各種手続き書類の整理と、ご家族への伴走支援を行いました
ここが分かれ目でした
もし「相続手続きだけ」をご依頼いただいていたら、このご家庭は、法律どおりお母さまがすべてを相続する、ごく普通の相続で終わっていました。
手続きとしては、何ひとつ間違っていません。誰も困りません。書類も整い、期限内に完了します。
ただ、その先で何が起きるかまでは、手続きの中では検討されないのです。
今回は、手続きを進める前に一度立ち止まって、「次の相続まで含めるとどうなるか」を整理し、選択肢としてお示ししました。結果を分けたのは、その一点でした。
やったこと自体は、シンプルです。
7.専門家との役割分担
相続の場面では、扱う内容によって担当する専門家が変わります。
| 分野 | 担当する専門家 |
|---|---|
| 相続税の試算・相続税の申告 | 税理士 |
| 不動産の名義変更(相続登記) | 司法書士 |
| 相続放棄の申述など家庭裁判所への手続き | 弁護士・司法書士 |
| 相続人間に争いがある場合の対応 | 弁護士 |
当社は、どの専門家に、どの順番で、何をお願いすべきかを整理してつなぐ役割を担いました。ご家族が個別に探して、それぞれに一から説明する手間を減らすためです。
8.最終的にどうなったか
- お母さまが家庭裁判所へ相続放棄を申述し、相続人が弟さんへ繰り上がりました
- 財産は弟さんが相続し、相続を一度で終える形になりました
- お母さまは、相続放棄をしても保険金の受取人としての立場は変わらないため、保険金は受け取っています
- 一次相続の税負担は増えましたが、二次相続まで含めた合計では、負担が小さくなるようにしました
減らせたのは、税金だけではありませんでした
ここが、この事例でいちばんお伝えしたい点かもしれません。
二次相続がなくなるということは、二次相続のときに必要だった相続税の申告そのものが不要になるということでもあります。
相続税の申告は、多くの場合、税理士へ依頼します。一般的な目安として、今回の事例では二次相続でかかる申告費用は60万円前後です。今回は、その一回分がまるごと不要になりました。
さらに言えば、申告のために資料を集め、何度も打ち合わせをし、期限に追われる――そのご家族の手間と時間も、一回分なくなっています。
相続税そのものだけでなく、手続きにかかる費用と、ご家族の負担まで含めて減らせたというのが、この事例の実際の効果でした。
※申告費用の60万円前後は、あくまで目安です。実際の報酬額は、財産の内容やご依頼先の税理士事務所によって異なります。
9.この事例から学べること
① 相続は「今回」だけで判断しない
目の前の相続税だけを見ると、判断を誤ることがあります。次の相続まで含めて、合計で比べてください。
② 相続人にご高齢の方がいる場合は、特に注意
その方が相続した財産は、近い将来もう一度相続の対象になる可能性があります。
③ 相続放棄は、借金があるときだけの手続きではない
相続人を次の順位へ移す手段としても使えます。ただし、家庭裁判所での正式な手続きが必要です。
④ ただし、代償がある
生命保険金・死亡退職金の非課税枠が使えなくなり、兄弟姉妹には2割加算がかかります。必ず有利になるとは限りません。
⑤ 減らせるのは税金だけではない
相続が一度減れば、申告そのものが一回分不要になります。その費用と手間も、あわせて減ります。
⑥ 判断できる期間は3か月
相続放棄ができるのは、自己のために相続の開始があったことを知ったときから3か月以内です。気づいたときには期限が過ぎていた、ということが起こり得ます。
10.ご自身の場合に確認していただきたいこと
□ 相続人は誰で、何人ですか(戸籍で確認しましたか)
□ 相続人の中に、ご高齢の方はいらっしゃいませんか
□ その方が相続した場合、次の相続はどうなりますか
□ 生命保険金の受取人は、誰になっていますか
□ 死亡退職金は支給されますか
□ 財産の合計は、基礎控除(3,000万円+600万円×法定相続人の数)を超えていますか
□ 相続の開始を知った日から、3か月が過ぎていませんか
□ 一次相続と二次相続の合計で、比べてみましたか
□ 相続税の申告が必要な場合、その費用も含めて考えましたか
11.おわりに
今回の事例でお伝えしたかったのは、「相続放棄をすれば得をする」ということではありません。
手続きを始める前に、一度だけ立ち止まって、次の相続まで含めて整理してみる。 それだけで、選べる道が変わることがある、ということです。
相続の手続きは、始めてしまえば進みます。だからこそ、始める前の整理が結果を分けます。
なお、相続放棄が有利になるかどうか、また具体的な税額がどうなるかは、ご家庭の状況によってまったく異なります。必ず税理士・弁護士・司法書士など、専門家へ個別にご確認ください。 特に相続放棄は、一度受理されると原則として撤回できません。
ご自身の場合はどうなるのか気になる方は、まず財産と相続人を整理するところから始めてみてください。当社でも、現状を整理してお伝えするところからご相談をお受けしています。
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