相続の備えというと、多くの方が「自分が先に亡くなったとき、誰に何を渡すか」を考えます。
けれど、ご夫婦の相続には、もうひとつの場面があります。自分が先に亡くなって、配偶者が残されたときです。
今回ご紹介するのは、お父さまが亡くなり、残されたお母さまが認知症だったご家庭のお話です。
姉弟がどれだけ話し合って合意しても、遺産を分けることができない。
誰かがもめていたわけではありません。それでも、手続きは前に進まなかったのです。
👨👩👧👦 父が亡くなった一週間後、弟が動き出した

ご家族は、お父さま、お母さま、長女、長男の4人です。
お父さまが亡くなり、遺言書はありませんでした。相続人は、お母さま・長女・長男の3人になります。
そしてお母さまは、認知症でした。
ご相談にみえたのは長女の方です。きっかけは、弟さんの動きでした。
お父さまが亡くなってまだ1週間ほどというころ、弟さんが遺産の分け方について具体的な話を進め始めます。聞けば、すでに税理士にも依頼済みだといいます。
あまりの早さに不安になり、「このまま進めて大丈夫でしょうか」と当社へお越しになりました。
🤔 一見すると、何も問題はありませんでした
弟さんの動きだけを取り出せば、むしろ段取りがよいとも言えます。
- 税理士に依頼して、相続税の準備は進んでいる
- 弟さんは分け方の案を持っている
- 姉である相談者との間に、決定的な対立があったわけでもない
「話し合って決めればいい」「早く動いてくれて助かる」
そう考える方もいらっしゃると思います。実際、多くのご家庭はここから手続きが始まります。
⚠️ けれど、この相続は前に進みませんでした

問題は、姉弟のどちらが正しいかではありませんでした。
そもそも、このご家庭では遺産の分け方を決められなかったのです。
遺産の分け方は、相続人全員で話し合って決めます。これを遺産分割協議といいます。
ここで大切なのは「全員」という点です。お母さまも相続人のひとりですから、お母さまの同意がなければ成立しません。
ところが、認知症などで判断する力を失っている方の同意は、法律上、有効になりません。書類に署名や押印をしても、あとからその話し合いが無効とされてしまうおそれがあるのです。
つまり、
- 長女と長男がどれだけ話し合っても
- 二人が完全に合意していても
- 税理士に依頼して準備を進めていても
遺産を分けることはできません。
気づかないまま進めてしまうと、あとから話し合いのやり直しになったり、不動産や預金の名義変更ができなかったりします。
相続人がお一人でも判断する力を失うと、他の全員が納得していても手続きが止まる。
これが、このご家庭の落とし穴でした。
🏛️「成年後見人を立てればいい」では終わらない
こうしたときに使えるのが、成年後見制度です。
認知症などで物事を判断する力が十分でない方について、その方を支える人を家庭裁判所が選ぶ制度で、選ばれた方を成年後見人といいます。
成年後見人が選ばれれば、お母さまの代わりに遺産分割の話し合いに参加できます。ここまでは、たしかに解決します。
ただ、思うようには分けられません
成年後見制度の目的は、ご本人の財産を守ることにあります。
そのため遺産分割の場面では、実務上、ご本人の取り分をきちんと確保する内容でなければ、家庭裁判所の理解を得にくいとされています。
たとえば、こんな分け方です。
- 「お母さまは施設にいるから、自宅は長女に全部」
- 「お母さまの分は少なくして、次の相続の負担を減らそう」
- 「二次相続まで見据えて、今回は子どもに多めに」
ご家族の事情を汲んだこうした分け方は、認められにくいのです。
結果として、二次相続・三次相続まで見据えた対策が打てなくなります。目の前の相続は片づいても、次の相続が重くなる、ということが起こり得ます。
そして、一度始めると終われません
ここが、意外と知られていない点です。
裁判所は、後見が開始されると「申立てのきっかけとなったことが解決した後も、本人の能力が回復されるか、本人が亡くなるまで手続は続きます」「ご家族の意思や本人の希望でやめることはできません」と説明しています。
「遺産分割のためだけに、一時的に成年後見人をつける」ということはできない、ということです。
さらに、成年後見人を家族が希望しても、その人が必ず選ばれるとは限りません。専門職の方が選ばれることもあります。そして報酬は、ご本人の財産から支払われます。
その報酬の目安は、裁判所の資料によれば月に1万円から6万円ほど。管理する財産が多いほど高くなります。これがお母さまが元気でいらっしゃる限り、毎月かかり続けます。
専門家に依頼すれば、その費用もかかります
話し合いがまとまらず弁護士に依頼すれば、当然そこにも費用が発生します。
弁護士費用について、日本弁護士連合会は「弁護士費用は話し合いで決められるものです」「弁護士によって費用は異なります」と説明しています。実務では、得られた経済的利益に対する割合で決める事務所が多く、合計で経済的利益の10数パーセントに達することもあります。
※専門家の報酬や費用は目安であり、具体的な費用は専門家にご相談ください。
相続財産が目減りする、というのはこういうことです
成年後見人の報酬。専門家への費用。そこにかかる時間と手間。
いずれも、本来ご家族に残るはずだったものから支払われていきます。
📜 こうしていれば防げた ― 遺言書という備え

このご家庭は、すでに相続が始まってからのご相談でした。もう遺言書は作れません。
けれど、お父さまが元気なうちに遺言書を残していれば、この問題は起きませんでした。
遺言書があると、話し合いそのものが不要になります
遺言書で「誰に何を引き継がせるか」が決まっていれば、相続人が集まって話し合う必要がありません。
つまり、お母さまが認知症でも、手続きが止まらないのです。
遺言の内容を実現する役割の人(遺言執行者)を決めておけば、その方が手続きを進められるので、さらにスムーズです。
遺言書は「分け方を決めるもの」だけではない
多くの方は、遺言書を「もめないように分け方を決めておくもの」と考えています。
それも正しいのですが、この事例が教えてくれるのは、もうひとつの役割です。
遺言書は、相続人の判断する力が失われたときに、資産が凍結してしまうことへの備えになる。
そして結果的に、成年後見人の報酬や専門家への費用といった、手続きにかかるお金を抑えることにつながります。
💡 大切なのは「夫婦二人分」で考えること
ここが、この事例のいちばんのポイントです。
多くのご夫婦は、「自分が先に亡くなったとき」を考えて遺言書を検討されます。
けれど本当に必要なのは、自分が先に亡くなって、配偶者が残されたとき。そのとき、配偶者の判断する力はどうなっているか。そこまで想定することです。
ご夫婦のどちらか一方だけ対策を考えればよい、というものではありません。お二人とも遺言書を用意しておけば、どちらが先になっても道筋が立ちます。
そして遺言書は、判断する力がしっかりしているうちにしか作れません。「そのうち」と思っているうちに、作れなくなってしまうことがあります。
🤝 当社が行ったこと
今回、当社が行ったのは次のことです。
- ご相談を受け、「お母さまが認知症である以上、このままでは遺産分割の話し合いが成立しない」という前提を整理してお伝えしました
- 不動産の査定を行い、財産の全体像が見えるようにしました
- 成年後見制度を使った場合に何が起こるか(ご本人の取り分の確保、一度始めると終われないこと、報酬がかかり続けること)の見通しをご説明しました
- 二次相続が発生したときにどう対処するかの計画を立て、次の相続まで含めた道筋をお示ししました
- 必要に応じて、弁護士・司法書士・税理士など専門家との連携を手配しました
分け方を決める前に、そもそも決められる状態なのかを確認する。そして、目の前の相続だけでなく、次の相続まで見ておく。今回お伝えできたのは、この二点でした。
なお、相続の場面では、扱う内容によって担当する専門家が変わります。相続税は税理士、不動産の名義変更は司法書士、成年後見の申立てや分割の交渉は弁護士や司法書士。当社は、どの専門家に、どの順番で、何をお願いすべきかを整理してつなぐ役割を担いました。
📝 この事例から学べること
- 遺産の分け方は、相続人全員の合意で決まります。ひとりでも判断する力を失うと、他の全員が合意していても止まります。
- 成年後見人を立てれば話し合いには参加できますが、思うようには分けられません。ご本人の財産を守る立場だからです。
- 成年後見は、ご本人が亡くなるまで続きます。ご家族の意思ではやめられず、報酬はご本人の財産から払われ続けます。
- 遺言書があれば、話し合いそのものが不要になります。分け方を決めるだけでなく、資産が凍結することへの備えになり、結果的に手続きの費用も抑えられます。
- そして、夫婦の対策は二人分です。「自分が先のとき」だけでなく「配偶者が残されたとき」まで考えてください。
✅ ご自身の場合に確認していただきたいこと
- □ ご夫婦のどちらかに万が一のことがあったとき、相続人は誰になりますか
- □ その中に、ご高齢の方や、判断する力が心配な方はいませんか
- □ 残された配偶者の判断する力が低下していたら、遺産分割はどうなりますか
- □ ご夫婦それぞれに遺言書はありますか(片方だけになっていませんか)
- □ ご夫婦がお互いの財産の全体像を把握していますか
- □ 二次相続まで見据えた形になっていますか
おわりに
今回お伝えしたかったのは、「遺言書を書きましょう」という一般論ではありません。
分け方を決める前に、そもそも決められる状態なのかを確かめておく。そして、どちらが先になっても道筋が立つように、ご夫婦二人分の備えをしておく。
このご家庭のように、相続が始まってからでは選べる道が限られてしまいます。
なお、成年後見が必要かどうか、どんな遺言書がよいかは、ご家庭の状況によってまったく変わります。必ず弁護士・司法書士・税理士など、専門家へ個別にご確認ください。
ご自身の場合はどうなるのか気になる方は、まずはご夫婦の財産と相続人を整理するところから始めてみてください。当社でも、現状を整理してお伝えするところからご相談をお受けしています。
お問い合わせは下記URLからどうぞ↓↓
神戸市の相続相談・相続対策|相続セレクション(株式会社カレッジ)
参照した公的情報
- 裁判所「成年後見制度(後見・保佐・補助)の概要を知りたい方へ」
- 裁判所「成年後見人等の報酬額について」(報酬額のめやす)
- 日本弁護士連合会「弁護士費用について」
※制度内容は2026年9月時点で確認したものです。
